デザイナー 2023.09.25

50th special interview
ーセラミック・ジャパンの“これまで”と“これから”(前編)-2023年に50周年を迎えたセラミック・ジャパンについて、デザイナー荻野さんとセラミック・ジャパン代表大橋のインタビューを行いました。

1973年の創業から、2023年で50周年を迎える セラミック・ジャパン。今回は、創業時からセラミック・ジャパンをよく知るデザイナー荻野克彦さんをお招きして、セラミック・ジャパン代表取締役の大橋正之とのスペシャルインタビューをお届けします。前半は、お二人にこれまでの50年に思いを馳せ、創業当時の思いや今に至るまでの象徴的な変化などをお聞きしました。


 

挑戦し続けることができた50年に喜びと感謝を
Q:この50年を振り返り、今の気持ちをお聞かせください。

大橋/よくぞ50年というのが正直な思いです。まずは、お力添えくださったデザイナー、ご支援、ご協力いただいたメーカーや関連企業の方々、そして苦楽を共にしてきたスタッフ各位にあらためて感謝を申し上げたいと思います。

荻野/50年前と言えば、「せまい日本 そんなに急いで どこへ行く」の時代です。セラミック・ジャパン創業者の杉浦豊和さんが東京で商売の勉強を始めた1964年前後の日本は、東京オリンピックに湧く高度経済成長の真っ只中です。目覚ましい家電や車の普及と同様、大型店舗や専門店の進出が続き、街と流通そのものが急ピッチで変わって行くのを目の当たりして、杉浦さんはこれからの産地のあり方を構想していたのです。一方同じく創業者である栄木正敏さんは、企業内デザイナーを辞め、自宅を工房にして作品を作り、それを何とか商品化できないかと…。そんな二人の出会いがセラミック・ジャパンのスタートです。その後、森正洋さんにお会いした時、森さんが思い出したように「JAPANとは大きく出たなァ」とニヤニヤしながらも、「やられたなァ」といかにも残念そうにして、「いい名前なんだから頑張ってもらわないと」と続けたのを今でもよく覚えています。

大橋/でも、売れるかどうかも分からないオリジナルの製品を作り、独自に販売し続けることについては、やはり順風満帆とはいかなくて、難しいことも多かったですね。初めの頃はアルバイトで運転資金を工面した時期もありました。「もうダメかもしれない」と言う苦しい状況を乗り越えてきたからこそ、徐々に皆様に認めてもらえるようになり、今があります。それでも、オリジナル製品は作れば大量に売れると言うものではないので、周りのご協力によってここまで続けることができたことは、幸せと感謝以外の何ものでもありません。

荻野/創業者は覚悟のうえとは言え、半世紀前に「独自の製品を作り、独自のルートで販売する」となれば一大事。当時のスタッフの苦労や、産地の「結果が出なけりゃ、今まで通りでいいんじゃないか」という反応が目に浮かぶ様です。それでも「売れなくていいのか」と、問屋の注文通りに作って、納期を守って収めるだけの繰り返しでは、もの作りの手応えも誇りも持てないし、肝心の工賃も上がらない。売れるか売れないかはひとまず置いて「自分たちで作り、自分たちで売る」という、セラミック・ジャパンの取り組みがいかに大事か。50年間継続してこられたのは、作り手の顔が見える誇れるもの作りであり、リスクを超えた覚悟です。


 

志を新たにした節目に寄り添ってきたロゴマーク
Q:この50年間にロゴマークも何度か変わっているとお聞きしました。やはり会社が転機を迎えた際に、変更されてきたのでしょうか。

大橋/はい。最初のマークは創業時に栄木さんがデザインしたものです。その後、栄木さんが大学のプロダクトデザインコースの講師になられ、ご自身のデザインスタジオを主宰して独立した際に、セラミック・ジャパンもロゴタイプを変えて心機一転しようと、荻野さんにデザインをしていただきました。

荻野/初代マークには栄木さんの溢れんばかりの思いが込められていて、当初から、私は内向き過ぎるのでは?と思っていたので、お話を頂いた時はうれしかったですね。まず私の中の、セラミック・ジャパンを改めて整理してみて、「中身の濃い良品を一つ一つ丁寧に作る―小さいながら世界に通用する会社―」という、ポリシーというか、イメージが膨らんできました。そこで社名にふさわしい国際的な感覚と、製品の信頼感、事業の確実性や今後の発展にも適応するロゴタイプの構成要素を、ヘルベチカを基調にまとめることにし、その流れからシンボルマークには社名のCとJを斜体で組み込み躍動感を出しました。セラミック・ジャパンを大橋さんが引き継いでからは、ドイツのフランクフルトで毎年開催されるアンビエンテに10年連続して参加するなど活動の場を外に広げています。ヘルベチカはその無駄のない簡潔さと可読性から世界で最も広く使われているフォントのひとつです。

大橋/私はちょうど30歳になった1977年にセラミック・ジャパンへ入社し、今年で46年になりますが、振り返るとロゴマークが変わった時期は、セラミック・ジャパンにとっては節目の時期でした。特に、ロゴタイプとマークの使い方や効果については出来るだけ全員で決めるようにしていたので、今では何でも皆で議論するのが当社の特徴の一つにもなっています。議論をすることで「全員で一つの目的へ向かっていく」という姿勢が育まれているのかもしれません。


 

創業から50年の歴史を懐かしみながら会話が進んだ、今回のインタビュー。さらに後半では、お二人のさらに熱い思いを伝えます。